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日本人医師ブータンで活動するーその11ー

ブータンで内視鏡医として活躍された阪口昭医師の奮闘記です。その第11回は治療のための緊急内視鏡事例についてお話頂きます。日本以外の国でどんなアプローチがなされているのでしょうか?


11)緊急内視鏡と治療内視鏡

内視鏡医にとって、吐血・下血の症状に対して緊急内視鏡を行い、診断・治療することは必須の仕事である。しかし、異国での緊急内視鏡となると勝手が違う。うまくできるのかという心配は日本に居るときからあった。 少しでも役に立つかもと思い、自分で買った物品や、メーカーさんに無理を言って貰ったサンプル品を手荷物で持ち込んだ。内視鏡室に入って最初に物品のチェックをしたが、日本で使っていた止血用の高周波装置はなかった。心配は尽きないけれど、その時はなんとかなるだろうと考え仕事は始まった。

早くも勤務3日目に、吐血患者が突然(当たり前ですが)やって来た。20代男性、ドキドキしながら、検査を開始した。胃の中に噴出する出血点を確認、高周波は使えないから出血点をつまんで止血するクリップ(極小の洗濯ハサミのようなもの)を使うことにした(これは在庫多数あり)。看護師と共同作業で、胃の中でクリップを拡げてから挟むのであるが、なんと半分しか拡がらない。新しい物を出してもらっても同じ結果。十分拡がらないと、粘膜を挟むのが不十分となり、止血が難しい。吹き出していた出血は弱くなったものの、まだじわじわと流れている。想定外の現実。どうしようかと思った時に、日本から止血用クリップを持参していたことを思い出した。いったん手技を中止し、自宅まで取りに帰り、すぐに戻ってやり直してなんとか止血完了。その日はもう一人出血患者さんが続いて、ダブルヘッダー。幸いすでに出血は止まっていたので処置はせず終了。3日目にしてこれであれば、これからいったいどうなるのだろうと小心者の心臓のドキドキは続くのであった。

日本でも同じであるが、当番の時はどこにいても病院から突然の電話がかかってくる。ブータンでは内科の内視鏡医が私一人という期間が長かったので、殆ど緊急の電話は私にかかってきた(と思われた)。「今救急室で吐血患者がいるが、今から内視鏡ができるのか」と。頻度は月平均2回くらい。「私はOK、担当看護師に連絡してください」と返事をすると、しばらくして看護師から、「今から家を出るから何分後には検査可能です」との連絡が来る。街で食事をしているときもあれば、家でのんびり過ごしているときもある。自宅は歩いて10分位なので、日中であれば歩いて病院まで行けるが、夜間は野良犬が多くて危ないので、タクシーか迎えの病院の車で出勤する。ロックダウンの時は病院の車しか街中を走れなかった。(日本の運転免許があれば、ブータンでも運転は可能であるが、交通ルールがよく分からないし家も近いので、車は持たない生活でした)

緊急での仕事は医師1名、看護師1名、時には救急室看護師に手伝って貰う。

結局一番多い原因は、食道静脈瘤破裂だった。ブータンで死因の第一位はアルコール性肝障害(肝硬変)で、飲酒は大きな問題である。20代女性のアルコール性肝硬変、静脈瘤破裂の患者さんを診た時は、日本では診たことが無かったので驚いた。アルコール恐るべし。今までのアルコール感が変わった。

治療内視鏡は物品があればできるだけ行った(表)。食道ステントと胆膵内視鏡はDr.Sonuと二人で行った。日本では物品はすぐ購入できるが、ブータンでの購入は大変時間がかかり間に合わないため、今ある物品をどのように使用するかという事が重要であった。

エコー内視鏡がないため診断がつけられないことや、対応した高周波装置がないため小さい胃癌を発見しても開腹手術になることなど、これからの課題も見つかった。(次回最終回に続く)


写真上段左:街の犬たち;私の周りは昼寝中の犬だらけ

写真上段中:ロックダウン時の街の中心街;車の通行は不許可。許可証を持った人だけが歩いて買い物に行ける。犬はフリー。

写真上段右:ロックダウン時の買い出しの格好。空腹の犬が多いので、タイツとジーンズ二枚に山歩き用靴を穿き、首からは通行許可証。

写真下段左:国産ビール:アラ(写真なし)という蒸留酒が伝統的飲み物。飲酒には寛容な文化です。

写真下段中:2年間に行った緊急及び治療的内視鏡の詳細

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