日本人医師ブータンで活動するーその5ー

ブータンで内視鏡医として活躍された阪口昭医師の奮闘記です。第5回は活動の実際の場、内視鏡室の様子をお届けします。


5)内視鏡室

私の所属は内科で、名札にはgastroenterologistと。主な仕事は、内視鏡検査と治療で、週3日は胃の内視鏡。大腸内視鏡とERCP(胆管や膵管の内視鏡検査)が各1日。

土曜日は掃除、洗浄の日で、義務は緊急内視鏡(吐血や下血の検査や治療)のみだったので、生検結果をチェックする日にした。病理結果が納得いかない時は、病理検査室に通う日となった。

 内視鏡診療以外には、消化器病で困った症例の紹介を受け、診察をして、意見を述べたり治療をしたりで、病棟やICUへの出張内視鏡も時には必要であった。時間外の呼び出し緊急内視鏡は月に平均1~2回程度で、食道静脈瘤破裂例が多かった。

最初の一年間は、内視鏡に記録装置がなく、病変記録のためモニターをスマホで撮るか、持参のデジカメで撮った。自分は両手がふさがっているので、画面にフリーズをかけてから、看護師さんに撮って貰った。主病変以外の記録はなしで、悪性の可能性の低い患者さんは写真なしとなった。

所見用紙もカルテ同様、手書きで患者に手渡してしまうので、保存しておきたい所見はデジカメで撮影し、画像と同じホルダーに保存した。(写真1,2,3、4)

2021年2月から、新機内視鏡が導入され(写真5)、内視鏡室も2部屋となった。第一内視鏡室は私の担当、第二内視鏡室は私が来るまで内視鏡をしていた先生方が、曜日交代で行った。内科の先生は1人だけで、あとは全員外科医だった。

ブータンで内視鏡を始めた先生は、外科医の Dr. Sonamで、今はティンプー市内の二軒の開業医の中の1軒の院長であるが、彼に指導を受けた先生が外科医のみであったようで、内科の内視鏡医は育っていないという現状があった。私がいた2年間でも、内視鏡の勉強のため内視鏡室に来るのは全員外科医であった。内科のレジデントになぜ内視鏡室に来ないのかと尋ねたが、多忙で行けない、もしくは総合内科医になるので内視鏡は不要との返事だった。

現行の研修プログラムを変えない限り、内科系内視鏡医は生まれないと思われた。Lotey首相もプログラムの変更を考えておられるようであったが、まだ院内では内視鏡医は外科医というような空気であった。

新規内視鏡と共に内視鏡ファイリングソフトも付いてきたので、やっとスマホやデジカメ記録の時代は終了した。所見記載もパソコンになり、画像と一緒にプリンターで印刷して手渡せるようになった時は、新しい時代が来たような気がした。

内視鏡室では午前11時頃には必ずモーニングティーがあり、15分程度の休憩、また午後1時過ぎにはスタッフ全員が持ち寄った昼ご飯をみんなで食べた。唐辛子が主野菜で、味付けは私にとっては極辛の世界だった。(次回に続く)

写真上段左;最初の1年は記録は画面の撮影が必要であった。26歳吐血の患者さんの内視鏡図

写真上段中;病変部の近接像

写真上段右;同じ患者さんの胃前庭部の粘膜下腫瘍様隆起

写真下段左;その患者さんの所見用紙:最終診断は胃結核

写真下段中;別の患者さんの2021年2月以降の所見用紙

写真下段右;新しい内視鏡を使用開始前に儀式が行われた。僧は病院の職員でもある。





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