ブータンで内視鏡医として活動された阪口昭医師の奮闘記です。その第二回はブータンで活動されるようになったきっかけをお話しいただきます。
2)なぜブータンに?:
初めての中国旅行以来、見たことのない景色、知らない文化への興味が膨らみ、毎年約1~2週間の夏休みをとって、海外、主にアジアの国に行った。韓国、モンゴル、ベトナム、カンボジア、ネパール、スリランカ、タイ、ブータン。アジアの混沌、活力が体になじむ気がしていた。年齢とともに北欧やアラスカ、オーストラリア方面になっていったが、2006年、53才でブータンに着いた時の印象は今でも忘れられない。
飛行機を降りた瞬間、こんな国が同じ地球上にあるのかと思った。空港スタッフは全員民族衣装で、建物も伝統的建築。町の市場では野菜や肉が量り売りで並べられている。家々はこぎれいに片付けられ、人々は優しいまなざしで、誰も商品を売りに来ない。寺院では、多くの人が全身を使ってお祈りをしている。外国人に興味のある子ども達は英語で話しかけてくるが、何かをねだるとかいうことは全くなく、尋ねると自分の将来について語る。
他のアジアで感じていた、活気はあるが気を抜けない印象は全くなく、穏やかで落ち着いている国。その時、いつかここで仕事ができたらいいなあという考えが生まれた。一緒に行った妻に、将来ここで仕事がしたいと言うと、返事は「大賛成」。(次回に続く)
写真左上、パロ国際空港滑走路、ブータン唯一の国際空港、ヒマラヤの山々の間を飛んで、水田に囲まれた滑走路に着陸します。
写真中上、乗り入れ航空会社はドルックエアーとブータンエアーの2社のみ
写真右上、パロ空港周辺、農業と観光の町。農業は故ダショー西岡京冶*さんが尽力しました。
*ブータンの農業の発展に大きく貢献し、「ブータン農業の父」といわれた日本人農業指導者
写真左下、市場では、ブータン産、インド産野菜が売られています。
写真右下、僧院では、多くの僧侶(紫の着物)が生活しています。仏前の飾りをバターと小麦粉を混ぜて作っている様子です。
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